日本を震撼させた地下鉄サリン事件から2025年3月20日で30年です。 1995(平成7)年3月20日(月)の朝、東京の霞ケ関を通る日比谷線、千代田線、丸ノ内線の合わせて5本の列車内で同時多発的に毒ガスのサリンが撒かれ、多数の死傷者が発生。営団地下鉄(当時)の職員も2名が殉職しました。阪神・淡路大震災に続く惨事を目の当たりにして、小学校卒業間際だった筆者は、世の中はこれからどうなるのだろうと思った記憶があります。 【これが現実にあった…!】駅に、列車に付着した「サリン」(写真) それから10余年が経過した2006年4月、筆者(枝久保達也:鉄道ライター・都市交通史研究家)は営団の後身である東京メトロに入社しました。その頃は現場で対応にあたりサリンの被害を受けた人や乗客救助の「決死隊」に指名された人など実際に関わった先輩たちから生々しい話を聞きました。また広報担当時代には毎年霞ケ関駅で行われる慰霊式にも立ち会い、「この事件はまだ終わっていない」と感じたものです。
ゴミ箱や防犯カメラに見る変化
象徴的な変化として挙げられるのがゴミ箱です。危険物設置防止のために撤去され自動販売機やコインロッカーも一時利用制限されました。1997年に縮小版ゴミ箱が復活しましたが2004~05年の欧州列車爆破事件を受け再び撤去されました。 その後透明パネル式ゴミ箱普及により再設置されるもコロナ禍以降セキュリティ強化で再び減少傾向です。 防犯カメラ整備も劇的に進展し1995年末まで80駅529台設置完了後2004年度末には約2400台へ拡大初期は録画型中心でしたが2008年以降リアルタイム監視可能な高機能カメラへ更新2018年度から新型車両への車内カメラ導入開始とテロ対策技術革新を加速させています。
Advertisement
Advertisement



Advertisement
Advertisement



Advertisement




















Advertisement