2025年のプロレス界は、年明け早々から異例の「ブーイング」現象で揺れている。1月1日、プロレスリング・ノア日本武道館大会のメインイベントで、エース清宮海斗が"暴露系ヒール"OZAWAと対戦した際、意外にも会場から大ブーイングが巻き起こった。さらにその3日後、新日本プロレスの東京ドーム大会では、"次期エース候補"海野翔太がIWGP世界ヘビー級王座に挑戦するも、これまた観客からの激しいブーイングを受けるという事態に発展した。
清宮へのブーイングには、「NOAHという団体に漂う閉塞感を打破してほしい」というファンの期待がOZAWAという新星に向けられた側面がある。一方で海野の場合、「実績不足の選手がいきなり東京ドームメインに出るのはおかしい」という会社への不信感が背景にあるようだ。
両者のケースではブーイングの性質こそ異なるものの、本来なら団体を代表するベビーフェースであるはずのトップスターたちが年間最大級の舞台で批判的な声に包まれるのは異常事態と言わざるを得ない。
"Boo〜!"はいつ日本にやってきた? マイティ井上が受けた歴史的瞬間
観客による「Boo〜!」という意思表示は現在ではサッカーなど他のスポーツでも見られるが、実はこの文化を日本で最初に定着させたのはプロレスだった。
驚くべきことに昭和時代までの日本のプロレスには「ブーイング」という概念自体存在しなかった。当時のファンたちは現代以上に過激な罵声や野次を飛ばしていたものの、「Boo〜!」と声を揃えるスタイルを知らなかっただけなのである。
昭和時代において最も過激な抗議手段として使われていたのが「帰れコール」。Netflixドラマ『極悪女王』でも再現されていたようにダンプ松本らクラッシュ・ギャルズに対して少女ファンたちから浴びせられたあれこそ、"昭和スタイル・ブーングイ"だったのだ。
"午後6時半の男"百田光雄と共にもたらされた革命
アメリカ式ブーングイ文化が初めて日本のリング上で炸裂したのは1989年2月25日。全日本プロレスの後楽園ホール大会での世界ジュニアタイトルマッチでのことだ。
それまで常連マニア達だけの人気だった“万年前座レスラー”百田光雄(通称:午後6時半男)がいきなり世界ジュニア王座挑戦者となったことで会場全体が熱狂。「百田コール」とともに王者マイティ井上に対する大規模な「Boo〜!」コールがあふれたのである。
この瞬間こそまさしく日本のスポーツ史における“第一号公式記録”として記憶されるべき出来事であった。
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